ごあいさつ

oba_syatyou

私の父は四国の香川県で生まれ、中学校を卒業後自分の腕一つで生計を立てられる大工職人になりたいと4年の丁稚奉公を経て、単身大阪の地で工務店の旗揚げをしました。
『自分の腕一つでやってやる』という強い信念と共にガンコな父のそばで、いつも回りに気を遣い自分のことより回りの人たちのことを考えている、優しい母に育てられました。

私は小学校の頃から、よく父に連れられ建設現場へ行っていました。父は日曜日に仕事が入ると『健二、次の日曜日、手伝いに来てくれ』と、よく言いました。私が渋い返事をしていると母が横で『お父さん、健二が来てくれたら助かるって言ってたよ。行っておいで』と促しました。少し面倒くさい顔をしながらも、私には楽しみがありました。日曜日の朝、私を起こす母の声が普段よりやさしいのと、ニコニコとした笑顔を見ることです。それと現場へ行く道中、父の横の席から見る窓越しの景色はいつもと違う町並みで、山が近くだったり、大きな川を越えたりとまるで遠足に来ているようなワクワクしたことを憶えています。

高校生になってアルバイトとして現場作業を手伝うようになり、それ自体では何の役目もデザインもない材料が人の手で加工され、形造られ人の役に立つものへと変わっていく。無から有への変化にこの建築という仕事の面白みを感じました。
建築の専門学校を卒業後、中堅の建設会社へ現場監督として勤め、小学校や府営住宅、ビルにマンション等、大きな建築物の現場管理を経験し、仕事の厳しさと完成した時の達成感を知りました。
勤めて3年ほど経ったとき、妻との結婚話しが上がり、それを機会に家業へ帰ってきました。

父は現場で大工さんをしていて、私も幼少のころから自分で物を作るのが好きだったので、大工さんになるつもりで、毎日、父と現場作業に勤しんでいました。
そろそろ、自分たちの家を持ちたくなった私は妻と日曜日の度に、少し庭のあるような郊外での物件を見て回っていました。しかし、当時バブル景気の影響もあり、資金的に厳しかった私は金額面や交通の便などで結局、地元の建売住宅を買うことにしました。
家が出来上がり、銀行でローンの手続きを終え、鍵をもらい、車で自分達の新居に向かいました。玄関のドアを開け中に入ると『うっ、なに?この臭い!?』きつい刺激臭で目がチカチカし涙が出て、喉が痛くなり、息を止め急いで家中の窓を開けて空気を入れ替えないと居れない状態でした。いわゆるシックハウスです。
住み始めてからも、いろいろな不具合があらわれましたが、業者さんに言っても『そんなものですよ』と言う感じできちんとした対応はされませんでした。家を手に入れた達成感はあったものの、諦めることが多く、あまり喜びはなかったように感じます。そして、1年後には業者さんは倒産され、建てた工事店さんとも連絡が取れなくなりました。これから、30年以上払い続けるローンの対象の家がこんなことでいいのか!?そして、それを造り出している仕事がこんなことをしていていいのか!?と言う憤りを感じました。
私はいなくなった業者さんを責めるより、自分自身を責めました。全ては自分の不勉強が原因です。場所と間取りと大きさと金額で決めてしまい、家にとって大切なものが何なのか!?をろくに勉強もしないで、一生に一度の大事業を決めてしまったのです。

私は自分の家づくりを後悔しています。あの時、もっとよく勉強していたら・・・。誰かに相談できていたら・・・と。あれから、必死になって家づくりの勉強をしました。家づくりはたくさんの要因が折り重なって出来上がります。その要因の中から大切なものを見つけました。自分の失敗を教訓に活かし、ご縁をいただく方には、そんな後悔した家づくりをしてほしくない。あの時、相談できる人はいなかったけど、今度は自分が相談される人になりたい。そして、喜びと笑顔に満ち溢れた幸せな家づくりを提供していきたい。

そんな思いで、皆様と向き合い後悔しない家づくり、幸せな家づくりをご提案させていただき、建てた後も永きに渡りお付き合いをさせていただくようご縁を大切にしていきます。

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